国際的アーティスト・ピュ~ぴるさんのインタビュー

By Yuki Keiser


ピュ~ぴるさん

1.「笑っていいとも!」から現代アートへ

Profile: ピュ~ぴる
2003年、代官山のギャラリーSPEAK FORにて個展「PLANETARIA」を開催。横浜トリエンナーレにて「LOVE REINCARNATION」(’05)、横浜美術館にて「SELF PORTRAIT・VIRGIN WHITE」(’07)、国立台湾芸術大学 開渡美術館にて「SELF PORTRAIT・SNOW WHITE」(’08)など、国内外の数々のグループ展に展示。その他、ABSOLUTE VODKAのワールドキャンペーン(’05)やバンドQomolangma Tomatoの3rd CDアルバムジャケット(’09)のアートディレクション、読売新聞夕刊にてコラム連載(’06)など、多方面で活躍する唯一無二の日本出身のアーティスト。

ピュ~ぴるさん
※北欧のフォトマガジン「Filter」の表紙を飾り、11ページに渡ってピュ~ぴるさんの作品が掲載。同号には、TWで以前紹介した才能溢れるフォトグラファー、キャサリン・オピーの作品も。

イタリアン『VOGUE』をはじめ、国内外の名高いマガジンに取り上げられ続け、横浜美術館で展覧会を開催するなど、日本が誇る国際的なアーティスト、ピュ~ぴる。インスタレーション作品や映像、彫刻、パフォーマンス、アートディレクション、コスチュームデザイン、執筆など多彩に活躍する彼女は、男性の体から女性の体へと、2007年に性別適合手術を行い、セクシュアリティやジェンダーの概念も作品に取り込んでいる。自身の体験を作品に取り入れて同化することでも知られる彼女は、クィアならではのひねりとブラックユーモアの効いた独自の世界観を繰り広げ、その徹底した姿勢と創造性にセクシュアリティ・国籍問わず、多くの熱いファンの心を捉え続けている。

そんな才能溢れる彼女のインタビューを、昨年末に表参道のカフェで行った。晴れた気持ちの良い午後に紅茶とコーヒーを飲みながら、独創的で彼女特有の茶目っ気たっぷりのユーモアを交えつつオープンに語ってもらった。15年ほど前、フジテレビ系バラエティ番組「笑ってもいいとも!」の出演から、アーティスト・ピュ~ぴるへの道のりや、いま企画中の新作、自身の肉体変貌を写真で記録し作品に仕上げた「Selfportrait」、タイの高級医療施設で行った性別適合手術、現在婚約中のイケメンの恋人などについて、彼女の魅力的なパーソナリティに迫るインタビューをお届け!

★ピュ~ぴるさんのオフィシャルHP & ブログ↓
www.pyuupiru.com/
http://pyuupiru.seesaa.net/

――初めてピュ~ぴるさんのことを見たのは15年ほど前で、私がまだスイスに住んでいたときなのです。小さい頃から毎年夏休みを東京で過ごしていたんですけれど、当時よくテレビ番組「笑っていいとも!」(フジ系)を見ていて、ピュ~ぴるさんが出演したときのことを覚えています! 当時、同番組によく出ていたロリータファッションのロビンちゃんも好きで、スイスに住んでいた私には、みんな東京ならではの個性溢れるファッショニスタとして刺激を受けていました! 

えー、見ていたのね~! あの頃は、ロビンやミカリンなどカンティーなクラブキッズ達と渋谷で待ち合わせをして、皆で派手でカンティーな格好をして、友達の長いオープンカーに暴走族みたいに箱乗りしていて(笑)。渋谷の宇田川の交番のあたりを練り歩いていたりして。ちょうどオンタイムでテレビに出ていたから、ストリート・アイドルみたいに、キャーとか言われたりしていた。(笑)

――私もファンでした! しかも、渋谷でロビンちゃんを一度見かけて、一緒に写真をお願いして撮ってもらったこともあるんですよ(笑)。

ロビンちゃん、可愛かったよね(笑)。彼女も元々あの服装で生活していて、クラブ界では目立っていて、篠山紀信にも写真を撮られて、有名になったみたい。

――その頃から「ピュ~ぴる」というお名前ですが、その由来はどこからきているのですか?

当時、GOLDやYELLOWというクラブで遊んでいて、例えば「ロビン」や「ミカリン」のような名前を仲間はみんな持っていたんだけど、私だけまだ無かったの。それで、コスチュームのお手伝いなどをしていた「マルヤッコ」という人に名前を付けてもらったの。彼女は、パ行が好きだったので、「ひょろっとしているから、“ピュ~ピル”!」とか言って、ただそれだけで決まったの(笑)。その後、今の「ピュ~ぴる」の表記に自ら変えたんです。

――当時、まだ美術館で展示したり作品を制作していなかったと思うのですが、作品作りのきっかけは何でしたか?

最初はクラブで遊んでいたんだけど、24歳頃にクラブ遊びにも飽きてきて、その後しばらくはクラブにも行かなかったの。タイにバックパッカーで旅に行ったり、昼夜問わず、お金になる色んなバイトをし始めたの。それで、その頃から、私はなんとかクラブワールド以外でも稼がないといけないということを感じ始めて、友達が教えてくれた漫画喫茶でバイトをし始めたの。そこは寂れた五反田の漫画喫茶だったので、一日中とても暇だったから、毎日毛糸を持っていって、編み物(ニット)をやっていたの。それが、次のステップの物作りを始めるきっかけになった。

ピュ~ぴるさん

――その後、どのように広がっていったんですか?

3年半ほど、バイトや、たまに誘われると夜遊びもしつつ、ニットの作品も創っていて全部で9体できたの。そしたら創った物をこの世に残したくなってきて。当時、勝手にペイントしたりして改造したお部屋に住んでいたので、お部屋特集などで雑誌に掲載されている内に、暴走族などを撮っている有名なカメラマン・吉永マサユキさんとお部屋の撮影で出会い、その後ニット作品を編み終わってから、私から連絡し、撮影をお願いしたら、OKをくれ作品を撮って頂けたの。

作品をスタジオで撮ってもらって、そのときに「物を創るってこういう事なんだ」というように革命的に潜在意識が変わったの。それまでは、コスチュームを中心につくっていたから、クラブでワインがドレスにかかったり、タバコの匂いが付いたりと、作品というよりも、使い回した派手な服という感覚でしか認識されていなかったので。私自身は作品だと思っていても他人はそれを理解していなかった。

当時、お金が無くて何も買えなかったんだけど、毛糸だけは何百個も買って、とにかくひたすら創っていたのね。その間に、作品の写真をいろんな雑誌に載せて紹介して頂いたりしていく内に、他者から観た「ピュ~ぴる」という名前そのものが「笑っていいとも!」のイメージから切り離されて、今に至っているのだと思う。

――イタリアン『VOGUE』など、海外の名高い媒体にも載りましたよね。

最初、ニューヨークのカルチャー誌『ペーパー・マガジン』のキム(・ハストレイター)編集長が私を発見してくれたの。同誌は、毎年正月にカレンダーを付録でつけていて、それにフィーチャーしてくれて。その後、イタリアン『VOGUE』にも載って、少しずつ海外でも知名度が上がったの。

基本的に、私の場合は海外のほうが反響が良いのよね。日本人は、良いと思っていてもリスクをとろうとしない傾向があるから。海外の人はもっとクリエイティブに貪欲で、誰よりも先に新しいアーティストを発掘したがるのに比べ、日本人は、海外で有名になってから追いかけてくる感じなので、その差は大きい。

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――確かに日本の企業も、セクシュアリティにまつわるトピックに警戒心を抱いていたり、比較的リスクを嫌う傾向がありますよね。でもピュ~ぴるさんは、名誉ある横浜美術館で展示したりと、日本でもかなり認知されているように見えますけれど。

横浜美術館のキュレーターの方が最初に私を気にかけてくれて、2005年の横浜トリエンナーレのメインキュレーターの川俣さんに推薦して下さり、正式出品が決まったの。。それまではファッションやカルチャーマガジンでの露出が多かったんだけれど、そこからさらに土俵が変わって、モダンアートの方に行きました。

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