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8.海外の一部のゲイの間での議論
最後に、本作の劇場公開に向けて展開している映画の宣伝において、海外の一部のゲイの間で浮上している議論やちょっとした批判についても少し触れておきたい。
作品の顔となるオフィシャルポスターでは、コリン・ファースとジュリアン・ムーアの男女のショットが起用され、「ゲイが主人公の映画とはまったくわからないほどストレートっぽい」と少し批判的な声もあがっている。男性ふたりの恋愛というよりも、ジュリアン・ムーア演じる女性とのプラトニックな関係にフォーカスが当てられたそのポスターは、フランスのフランソワ・トリュフォー監督の名作『家庭』('70)を彷彿とさせるようなレトロムードとスタイリッシュさが秀逸ではあるが、確かにゲイの要素は微塵も伝わってこない。「この映画はゲイの男性が主人公だけれども、ゲイ映画ではない」と主張しているトム・フォードのスタンスの表れなのかもしれない。実際に、本作が愛や喪失、孤独、そして人生の意味を受け入れることの大切さを描いた映画で、主人公の恋人が女性であったとしても完璧に成立する物語なのだとも言っている。主人公がゲイという設定を残したのは、ゲイの男性を“普通の人間”として描いたクリストファー・イシャーウッドの考え方が非常に現代的だと思ったからとのこと。「僕もゲイだけれど、自分がゲイだということを忘れてしまっているからね。ゲイだということは、僕の人生の重要項目トップ10にも入らないよ」と言い切るほどゲイ作品として制作したのではないことをフォードは強調している。
※海外の一部のゲイの間で「ストレートっぽすぎる」として批判されている映画のポスター。
また、オフシャルトレーラーでは、最初のバージョンでは、男性のカップルのキスシーンが含まれていたものの、最終的なトレーラーではそのシーンが削除されているという。この作品をできるだけ多くの人々に観てもらうために、ゲイ要素を全面に押し出したくない配給会社の戦略なのかもしれないが、当初キスシーンが含まれていたからこそ、残念に感じてしまうクィアが多いのも無理ない。
実際に、主人公がゲイの映画、ゲイが書いた本、ゲイの監督、フォードの個人的な経験にも基づいているのに、トム・フォードが「ゲイ映画じゃない」と言ったことに対し、ゲイコミュニティの一部が気に入っていないのも事実。そしてゲイの主人公を演じたコリン・ファースは、「気持ちはわかるけど、ゲイがキャラクターなのに、そのセクシュアリティがプロットのメインじゃないことは、(自然なことと捉えられているので)前進でもあって、いいこと」とコメントした。ただ、プロモーションに関しては、「このストーリーは、男性ふたりとの間にあった美しい恋の物語なので、それを隠そうとするのは間違い」だと、ゲイ要素を軽減していることに対してやや残念に感じている様子。
また、同じく、ゲイ要素が薄められたプロモーションについて共演のマシュー・グードは、「世の中にはホモフォビックな人がたくさんいる。だから、ゲイ要素を薄めたことでよりたくさんの人に観てもらえるならそれでいいと思う。それでこの映画を観てくれて、偏見をなくす機会を与えるなら、言うことはない」と、プロモーションの趣旨が少し理解できるコメントをしている。
そしてついに、日本での公開もようやく決まった本作。トム・フォードが「多くを語るより、ただ観て何かを感じて欲しい」と、作品の捉え方を個々へゆだねているだけあって、監督1作目にして独自の世界観と哲学が確立されている。そんなトム・フォードの揺るぎない自信と誇りが溢れ出す渾身の映像を、1日も早く各々の目と心で確かめてほしい。
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